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205.なぜ全日中に出れたんですか?

 

という質問を指導中にいただきました。

 

あまり深く考えたことはありませんでしたが

質問をいただいてから

中学時代を思い出す中で

これじゃないかといういくつかの要因が出てきたので

 

書いてみたいと思います。

 

2005年 岐阜全中 準決勝 今も実家に飾られている

 

①先生との出会い

 

以前の記事にも書きましたが

僕は2年生の秋まで

県大会に出たことすらなかったところから

 

3年生で全国大会の標準記録を切るまでに成長

 

2年生の7月時点で

110mハードル20秒を切ったことがなかったところから

14秒75で走るまでになり

全日中、ジュニアオリンピックと

準決勝まで進むことができました。

 

1番大きかったのは

2年生の時に赴任してきた

先生の存在です。

 

アップのウォーキングから

ドリルなど、練習メニューが一新され

中学生なりに目的を持って取り組める環境に

 

・足を流さない走り方

・ハードルの跳び方

など、今の指導のベースとなる考え方を

指導してもらいました。

195.選択していただけること

この記事でも書きましたが

今の時代は指導者を選ぶことができる時代

 

 

ですが、

僕が中学の頃はなかなかそうはいきませんでした。

その中で、自分を伸ばしてくれた先生に出会えたことは

奇跡に近く、とても運が良かったなと

感じています。

 

②怪我をしたおかげで変わった意識

 

2年生の時に、腰椎椎間板ヘルニアによる

坐骨神経痛を患い

膝が全く上がらなくなってしまった時期がありました。

 

走れる状況であれば

陸上部の練習はランメニューが中心になってしまいますが

 

怪我をして走れない状況になったことで

本格的に体幹トレーニングに取り組み始めます。

 

身体も、ものすごい固かったのですが

走れない時期は怪我をしないためのストレッチにも

取り組みました。

 

走れるようになってからも

身につけた習慣をそのまま維持しながら

引退まで競技をすることができたと思います。

 

小学6年生

 

中学3年生

比較すると

体幹周りはしっかりしたのかなと感じます。

 

③近くにいたライバルの存在

僕がいた地区の同級生には

全日中を狙う選手が3人もいました。

 

県の通信大会で全国の標準記録を切り

調子に乗っていたら

 

次の週の地区大会は3位になってしまった

なんてこともありました。

 

地区の選抜メンバーで行われる

冬の強化練習会では

いい緊張感の中

質の高いトレーニングを行うことができ

当時の中学生の中では

かなりいい環境で競技をやれていたと思います。

 

 

こうして振り返ってみると

①先生に出会えた

②怪我をしたおかげで体作り、ストレッチに向き合えた

③近くに刺激し合える仲間がいた

結局運によるところが多いんですが

 

運をスルーしてしまうか

味方につけることができるか

 

その辺りは中学生なりに

正しく努力した結果の全日中なのかなと。

 

参考になる方が1人でもいれば

嬉しいです。

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