という質問を指導中にいただきました。
あまり深く考えたことはありませんでしたが
質問をいただいてから
中学時代を思い出す中で
これじゃないかといういくつかの要因が出てきたので
書いてみたいと思います。
①先生との出会い
以前の記事にも書きましたが
僕は2年生の秋まで
県大会に出たことすらなかったところから
3年生で全国大会の標準記録を切るまでに成長
2年生の7月時点で
110mハードル20秒を切ったことがなかったところから
14秒75で走るまでになり
全日中、ジュニアオリンピックと
準決勝まで進むことができました。
1番大きかったのは
2年生の時に赴任してきた
先生の存在です。
アップのウォーキングから
ドリルなど、練習メニューが一新され
中学生なりに目的を持って取り組める環境に
・足を流さない走り方
・ハードルの跳び方
など、今の指導のベースとなる考え方を
指導してもらいました。
この記事でも書きましたが
今の時代は指導者を選ぶことができる時代
ですが、
僕が中学の頃はなかなかそうはいきませんでした。
その中で、自分を伸ばしてくれた先生に出会えたことは
奇跡に近く、とても運が良かったなと
感じています。
②怪我をしたおかげで変わった意識
2年生の時に、腰椎椎間板ヘルニアによる
坐骨神経痛を患い
膝が全く上がらなくなってしまった時期がありました。
走れる状況であれば
陸上部の練習はランメニューが中心になってしまいますが
怪我をして走れない状況になったことで
本格的に体幹トレーニングに取り組み始めます。
身体も、ものすごい固かったのですが
走れない時期は怪我をしないためのストレッチにも
取り組みました。
走れるようになってからも
身につけた習慣をそのまま維持しながら
引退まで競技をすることができたと思います。
比較すると
体幹周りはしっかりしたのかなと感じます。
③近くにいたライバルの存在
僕がいた地区の同級生には
全日中を狙う選手が3人もいました。
県の通信大会で全国の標準記録を切り
調子に乗っていたら
次の週の地区大会は3位になってしまった
なんてこともありました。
地区の選抜メンバーで行われる
冬の強化練習会では
いい緊張感の中
質の高いトレーニングを行うことができ
当時の中学生の中では
かなりいい環境で競技をやれていたと思います。
こうして振り返ってみると
①先生に出会えた
②怪我をしたおかげで体作り、ストレッチに向き合えた
③近くに刺激し合える仲間がいた
結局運によるところが多いんですが
運をスルーしてしまうか
味方につけることができるか
その辺りは中学生なりに
正しく努力した結果の全日中なのかなと。
参考になる方が1人でもいれば
嬉しいです。